ピンクレディー【画像】懐かしのアイドルヌード

      2018/08/08

日本の歌謡史&アイドル史を語る上で必ず名前が上がる伝説の女性ディオ『ピンクレディー』。

1976年にデビューした彼女らの独特の歌詞や踊りは、当時の若者らを熱狂させました。

今回は、その「ピンクレディー」のメンバーである未唯(mie)さんと増田恵子さん、2人の貴重なヌード画像を紹介したいとます!

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中高の同級生だった2人が国民的スターへ

中学と高校が一緒だったミーさんとケイさんは、1973年にヤマハ音楽主催のオーディションにそれぞれ合格し、ヤマハボーカルスクールに特待生として通いながら歌手を目指します。

しかし、オーディション番組に出場しても予選で敗退。

どうすれば合格するか考えた2人は『スター誕生!』に出演した際、これまでのような華やかな衣装で歌うのではなく田舎から初めて東京に出てきた純朴な少女風を演じるため、わざと野暮ったいオーバーオール姿で出場しました。

すると彼女らの作戦は見事に成功し、合格を手にします。

しかしデビュー後は、これとは全く異なるキャラクターに変身。キラキラで太ももがあらわになった派手な衣装でセクシーなダンスを踊り、歌う曲は『スタ誕』に出場したときのフォークソングではなく、リズムやビートが効いた曲調と真逆。

デビュー当初は「キワモノ」「ゲテモノ」的な見方をされましたが、子供たちから火が付くと瞬く間に老若男女に人気が広がり、ピンクレディーは国民的スターへと駆け上がっていくます。

解散まで4年4ヶ月

1976年に『ペッパー警部』でデビューし、1980年9月に解散するまで4年4ヶ月。そして「全盛期」と言われている時期は、わずか2年。

今のアイドルグループはメンバーの入れ替わりはありますが、10年以上続いているグループが多数いることを考えたら、ピンクレディーの活躍はほんの一瞬の出来事です。

しかし彼女らはその短い間に、『S・O・S』『カルメン´77』『渚のシンドバット』『ウォンテッド』『UFO』などの数々のヒット曲を連発しました。

現在50代くらいの年齢の人だったら今でもこれらの曲は空で歌えて、振り付けも出来てしまう方も多いんじゃないでしょうか?

2人が所属した芸能事務所「T&Cミュージック」には、名のあるタレントは当時アイドルだった浅田美代子さんしかいなく、他に無名の子が2人。

しかし、その唯一の稼ぎ頭だった浅田美代子さんも歌手の吉田拓郎さんと結婚したことでT&Cを辞めてしまい、社運はデビュー間もない2人の肩にかかってしまいました。

彼女らのグループ名の「ピンクレディー」は、彼女らの多くの曲を手掛けた作曲者・都倉俊一氏がカクテルの名前から命名。

後に国民的スターになる彼女らのデビューは華々しさはなく、ファーストシングルの『ペッパー警部』の初回プレスは、わずがに4000枚だったと言います。

事務所がプッシュしても、肝心のレコード会社の方はあまり期待していなかったようですね。

しかし、その枚数は月日が経つごとに増えていき、最終的には60万枚の大ヒットを記録したと言います。

会社の業績もグングンうなぎ登りで、デビュー半年の決算は4600万円。その1年後には、なんと6億4000万円!さらに1年後には、ななな、なんと!18億9000万円!

実に、40倍以上の売り上げを記録したのです。

淋しい解散コンサート

ピンクレディーの凋落は、1978年の大晦日に行われた『NHK紅白歌合戦』の出場辞退を境に始まります。

当時の紅白は視聴率70%!を超えるお化け番組。それを辞退するなんて当時は考えられないことでしたが、彼女らの事務所は前年出場した際のNHK側の態度に腹を立ていて、「来年は出場を断ってやろう」と思っていたんだとか。ピンクレディーを国民的スターに押し上げたことのおごりが出たのでしょうね。

大晦日の彼女らは、裏でチャリティー特番に出演するも視聴率は一ケタ台で惨敗。マスコミから出場辞退に対するバッシングに合い、さらにNHK側との遺恨も生まれ、彼女らの人気は急落してしまいました。

そういう状況の中で、以前から進めていたアメリカ進出で日本を開けることになったのもマイナスでした。

その間に人々の音楽の趣向も変化してしまい、帰国して再び日本で本格的に活動するようになっても、かっての人気を取り戻すことは出来ませんでした。

1980年に、ピンクレディーは解散を発表。

81年の3月に行われた後楽園球場での解散コンサートは、みぞれ交じりの雨が降る悪天候のせいか、もはや人々から忘れ去られてしまったからなのか客席が3分の1しか埋まらず、空席が目立つ淋しいコンサートだったようです。

そして、彼女らの所属事務所「T&Cミュージック」も、ピンクレディー解散の半年後に倒産してしまいました…。

ピンクレディーの懐かし広告&水着グラビア

時代を感じる、ピンクレディーを起用した懐かしの広告です。

個人的に思い出があるのは、雪印アイスクリーム「宝石箱」ですね。懐かし~。子供の頃に食べました。

「雪印」というブランド自体無くなってしまいましたが、もう一度食べてみたいアイスクリームです。

ここからは、2人の水着グラビアを紹介。

ミーさんもケイさんも、なかなかの貧乳ぷりですねぇ~。そして、ケイさんは〈出べそ〉だったんですね。

でも、黄色と緑のビキニを着た2人の腰回りがエロくてイイ!ビキニが下がってあとちょっとで陰毛が見えてしまいそう。

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未唯mie

グループ解散後は、ソロ歌手や女優などで活躍。

1984年には、大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の主題歌『NEVER』をヒットさせます。

1982年には映画『コールガール』で初ヌードを披露しています。翌83年にヌード写真集を発売。

増田恵子

ソロデビュー曲『すずめ』が26.7万枚のヒット。現在は、女優やタレント、声優としても活躍。

増田恵子さんのヌードは、1993年12月末の『週刊プレイボーイ新年号』で披露。誌面のカットを掲載したヌード写真集を発売する予定でしたが、お蔵入りになったよう。

貴重なケイさんのヌード画像です。アラ!?、出べそが治っているぞ!?

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