篠山紀信氏がヌードにした女優たち【昭和編その3】

      2018/08/08

写真家・篠山紀信氏が昭和の時代にヌードにしてきた女優をこれまで2弾に渡り紹介してきましたが、今回の第3弾で〈昭和編〉は最後!

バンドブームを生んだオーディション番組で人気になった元気なボーイッシュ少女のあの子や、フジテレビの黄金期を支えた伝説のバラエティー番組で人気になったあの女優さんのヌードなど、盛りだくさんな内容で紹介しちゃいます!

※紹介する写真は、必ずしも篠山紀信氏の作品とは限りません。

(関連記事ー篠山紀信氏がヌードにした女優たち【昭和編その2】もどうぞ。)

相原勇|ブレーク間近でヌードになった元気少女

1989年の平成元年にTBS始まった伝説の深夜オーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称イカ天)で、明るく元気なボーイッシュなキャラでブレークした相原勇さんのヌード。

彼女がヌードになったのは〈イカ天〉が始まる2年前、本名の〈小原靖子〉名義で無名アイドルとして活動していたときでした。

中学生のときに観た榊原郁恵さん主演のミュージカル「ピーターパン」に感動し、ピーターパンを演じるのを夢見て芸能界入りを目指していた相原勇さん。

1984年「第9回ホリプロスカウトキャラバン」に応募。総数12万人の中から中国・四国地区代表として決勝まで残りますが、残念ながら落選。

(この時のグランプリは井森美幸さん、審査員特別賞は鈴木保奈美さん)

1985年に「第1回・モモコクラブ」に応募し、準優勝した事で芸能事務所にスカウトされ芸能界入り。(この時のグランプリは、西村知美さんや杉浦幸さんなど)

なんと!相原勇さん。おニャン子クラブのオーディションも受け見事合格していたんだそう。

しかし、所属していた事務所は彼女をソロデビューさせることを選択し、おニャン子への加入を辞退させます。理由は「専属のレコード会社、雑誌も全て決まっているから仕事の幅が狭くなる」からだとか。

そうして出したデビュー曲は、おニャン子クラブの『おっとCHIKAN!』に見せかけた企画モノ…ってどうゆうこと!?

もしそのまま〈おニャン子〉に入っていたら、彼女の人生は大きく変わっていた事でしょうね。

彼女も自身が加入するはずだったおニャン子クラブが一躍人気アイドルグループになるのを目にし、「『なんで私はあそこにいないんだろう…。』って、メッチャ悔しかった。」と、後にあるテレビ番組で語っています。

1986年、先見の明が無い所属事務所は当然ながら倒産。しかしその事で、相原さんは芸能活動を一時中断せざるを得なくなります。

そんな中、雑誌『GARO』で連載されていたグラビア写真シリーズ『激写』(1987年)で、篠山紀信氏の撮影により相原勇(小原靖子)さんはヌードになります。

実は彼女、父親から「4年で成功出来なかったらあきらめて帰ってこい。」と言われていたそう。

その約束も間近に迫っているのに所属事務所も無くなり思うように芸能活動も出来なかった彼女は、成功する事への焦りで一発逆転を狙いヌードになったのかもしれませんね。

石井めぐみ|伝説のお笑い番組のマドンナ

石井めぐみさんと言えば、フジテレビの伝説のバラエティー番組『オレたちひょうきん族』(1981年~1989年)でマドンナ的存在として人気に。(彼女は1984年から出演)

そんな彼女がヌードになったのは、ひょうきん族に出演する2年前。

当時、まだ彼女は早稲田大学の学生で、女優としてもデビューし立てでした。

人気ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』で、婦警の森村万里子役でドラマデビューした石井めぐみさん。

始めの頃は脇役でしたが、その可愛いルックスと面白さで、マツ役の松崎しげるさんとトミー役の国広富之さんのバディ―の刑事ものだったドラマを、彼女をヒロインにしたトリオの刑事ものへと変更するほど人気になります。

そんな勢いに乗った中、篠山紀信の激写文庫シリーズ『石井めぐみ そっと』(1982年)を発売。

なんと!このドラマで、彼女のヌード写真集を松崎しげるさん演じるマツが本屋で立ち読みしているのを、本人である婦警の森村万里子(愛称・チビ)を演じる石井めぐみさんが「イヤー!やめて!」

マツが「なんでお前が恥ずかしがるんだよ!?これチビにそっくりだな、ウッシッシ」という、ちょっと面白いシーンがあるんだとか。

ヌード画像もちゃんとTVに映ったと言いますから、あの頃は何ともおおらかな時代だったんですねぇ。

ちなみに現在、石井めぐみさんは国立市議会議員として働いていると言います。

知らなかった、スゴーイ!

川上麻衣子|抵抗するも17歳で初ヌード

TBS系ドラマ『3年B組金八先生』(第2シリーズ)でヒロインの優等生・迫田八重子役を好演し、一躍有名になった女優・川上麻衣子さんが、篠山紀信氏撮影による初ヌードを披露したのは1983年の17歳のとき。

彼女は当時のことを「ヌードを撮られることはもうどこかしょうがないかな…と言うところはあった」と言いますが、ただ、学生だった事もありヌードが世の中に出る事に関しては嫌で抵抗があったそう。

彼女は山口百恵さんのファンで、彼女も篠山さんに結構きわどい写真を撮ってもらっていたと言う話は知っており、いろんな女優さんがヌードは撮っても出さない人が多くいるのを聞いていたので、彼女も撮ってもらってもヌード写真集は出さないつもりでいたそう。

そして関係者により「撮ってもらっても、それを発表するかどうかは別。撮る時はもう思いっきり撮ってもらって、ご両親も揃って篠山さんの事務所でスライドを見せてもらって会議で決めましょう」という話になったと言います。

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川上さんの母親は「無理無理」と言い反対したそうですが、彼女の父親は「女優と言う道を選んだのなら、出すべきだ!」と言われ、川上さんは「もうしょうがない」と思い、ヌード写真集『暑い国 夢の国 生まれた国』を発表することになります。

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森下愛子|写楽の創刊を飾ったピンクの乳首

『激写』ブームを受け、1980年4月に写真雑誌『写楽』(しゃがく)が創刊。その創刊号の巻頭を飾ったのが、篠山紀信氏撮影による森下愛子さんのヌードでした。

翌年、その時に撮影されたヌードを写真集『海へ私へ』(1981年)として出版します。

森下愛子さんにとってこれが〈初ヌード〉と言うワケではなく、1978年の映画『サード』で都会に出て行くための資金を稼ぐため売春する女子高生役で初ヌードを披露しています。

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彼女が見せた淡いピンクの乳首と美しい乳房は素晴らしく、この作品の後にも数多くヌードになりました。

彼女のオッパイの美しさに、『サード』を監督した東陽一氏は後に「公開から20年以上たっても、必ず言われるのは『森下愛子のおっぱい』なんだよね」と語ったほどでした。

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